LOGIN
「ほら、シャーロット! お茶なんてのんでないで、こっちでボールなげでもしよう!」
優しく高い声。 何だか、凄くほっこりさせられる、心が落ち着く声色。 ふわふわな金髪に碧眼と幼いながらに凛とした顔立ちの男子。 柔らかくも鋭い目には慈愛の潤いを湛え、目尻が下がっているのも好意の現れ。 「ぼーるなげ? はじめてだけどやってみたーい! あたしにもできるかなぁ……」「かんたんだよ! ぼくの真似をしてみてよ!」
そこから始まったキャッチボール。 「なんだか、ぼくたちが仲良くしたら、みんなも仲良しになれるんだって!」「えっ! そうなの? じゃあ、あたし仲良くなりたい!」
「それだけじゃないよ! ぼくはシャーロットが好きになったよ! だからきみにもぼくを好きになってほしいな!」
突然の言葉にシャーロットの投げたボールは、すっぽ抜けて大暴投。 慌ててガイナスが取りに走る。 綺麗に手入れされた芝生のカーペットが敷かれて、見晴らしのよい離宮の広場。 特に探すこともなく、ガイナスはすぐに戻ってきたかと思うと、怒った様子もなく自然な笑顔のままボールを投げ返す。 それは優しくふんわりとした弧を描き、シャーロットの手に収まった。 「ははは! シャーロットはまだまだへただね!」「むぅ……ガイナスがきゅうに変なこといったからだもん!」
「ほんとうだよ! ぼくはシャーロット……シャルが好きだよ! ずっとまもるって決めた!」
「えへへへ……まもってくれるんだ。あたしも好きだよ! ガイナスのこと! それでみんなも仲良くなれるならもっといいよね!」
懐かしき記憶が、刻を経た今なお鮮明に蘇る。そう。この人は……。
人間族の国家――エルメティア帝國の第1皇子ガイナス・エル・ティア・クラウレッツ。 彼は……ガイナスは私の
これは遠き日の懐かしき想い出。
※ ※ ※
戦争が激化の一途をたどる中、妖精族の国家リーン・フィアは未だ平穏な日々が保たれていた。
それもこれも昼なお暗い、深き大森林に護られた首都フィアヘイムだからこそ。そして現在、神星樹の王城《ヴァンドスラシル》の大広間では妖精王による夜会が催されていた。
「人間・亜人族連合軍との戦争中なのに呑気なもんだよねー。まぁあたしも大概かも知れないけどさ」 シャーロット・マクガレルは思わずそんな呟きを漏らしていた。 もう何杯目になるかも覚えていないカクテルを呷り、空になったグラスを近くにいたボーイに渡した彼女は憂鬱そうに俯いて目を落とす。 周囲からは貴族たちの談笑の声が耳に入ってくるが、普段から静かな場所で暮らしている身からすれば雑音にしか聞こえない。 そのさらさらな長い銀髪を耳に掛けると、妖精王のリンレイスの姿をその蒼い瞳に映した。 相変わらず、艶やかで美しい淡い緑色の長髪と瞳がその美貌を際立たせている。何やら貴族たちと歓談しているようで忙しそうだが、それも王たる者の務めなのだろう。
自分なら絶対になりたくないとシャーロットは独り言ちる。妖精族を束ねる妖精王リンレイス・フォーレ・ヘイムニースも別に好き好んで夜会を開催している訳ではない。
彼女は人間融和派であり、何とか両者を交渉のテーブルに着かせようと必死に動いている。 魔族も人間・亜人族も決して一枚岩ではないのだ。 「それにしてもエリーゼたちは何処へ行ったのさー暇なんだが……?」 姿が見えない幼馴染たちに、貴族社会に疎い彼女の口からは愚痴が零れる。 リンレイスの姪であるシャーロットは、嫌々ながらも夜会に出席していたのである。 そのせいもあってか彼女は思いの外、痛飲してしまっていた。そんなシャーロットの脳裏には、幼少期に1度だけ会った人間族の皇子との想い出が浮かんでいた。
他愛のない短編小説のような記憶の1ページだが、彼女にとっては懐かしく忘れがたいもの。 皇子との婚約が破棄されてからもう1年になる。『せめてもう1度だけでも会いたかった』――そんな想いが過ったが、どうすることもできないし、何より今更な話。
全てがシャーロットの意思とは無関係に自分の将来が決められて行くのを、彼女はまるで他人事のように見ているしかできなかった。
そんなことを思い出して、本日何度目かの大きなため息を漏らした彼女に、不意に声が掛けられる。
「おッ……あれ? もしかしてシャーロット……シャルか?」 聞き覚えがあるような声に、慌てて俯き加減だった顔を上げると、目の前には長身のスラリとした青年が佇んでいた。 赤い瞳からは驚きの感情が見て取れる。 燃えるような赤髪でツンツンと逆立ったスパイキーショートの精悍な顔付きに、懐かしい面影を見たシャーロットはすぐに思い出すことに成功する。 「……!! え? ヴァル? マジで?」「お、懐かしいなぁ、その呼び方。今じゃヴァルシュとかフレイヤートとかしか呼ばれないからな……」
驚きの声を上げたシャーロットの予想は当たっていたようで、思いがけない再会に思わず表情が綻んだ。 今までの憂鬱で気だるげな気分は吹き飛び、大輪の花が咲き乱れるが如く、パァッと表情が明るいものに変わる。 彼女本来の明朗快活で闊達な性格を、その精神が思い出したかのように表に溢れ出した。 何と言っても幼少期の幼馴染なのだ。 もう何年も会っていなかったが、同い年なのでヴァルシュも18歳のはずである。 「6年ぶりくらいかよー? 久しぶりー! 何だよー来てたんなら教えなよー!」「相変わらず、変な話し方してんのな。なんたら語?とか言ってたが……ルナさんだっけ。影響受けてたよな。 俺もお前も」
「ルナさんリスペクトなんで! 当然なんだが?」
ルナと言うのは、12歳の頃にこのフィアヘイムに立ち寄った人間の少女である。 金髪の派手な容姿をしている可愛らしい少女で、長い「ああ、大陸南部で喰い止めてるからな。
「ったく……目聡いヤツだよ。お前は。……まぁ簡単に言えば押されまくってるって話だ」
そう大きな声では言えない話なのだろう。 声を潜めて話すヴァルシュの表情が晴れない辺り、戦況はかなり悪いのだろう。 リーン・フィアにも人間たちの魔の手が伸びてくる日もそう遠い未来ではないかも知れない。 「結構、ヤバげな感じかー。何で人間は――」再び、魔族に戦争を仕掛けてきたのか?
そう言い掛けて言葉に詰まったのは、婚約破棄の件が脳裏を過ったから。シャーロットは8歳の時に人間族の国家、エルメティア帝國の第1皇子ガイナスと許婚となり、同時に婚約者となった。
当時の魔王に子供がいなかったため、幼くして魔族屈指の高い魔力を持つ彼女が養子に迎え入れられ、魔王の王女として講和の証とされた訳である。 所謂、政略結婚だが、双方共に「何でも勇者ってヤツがいるらしくてな。滅ぼされた族長もいるって話だ」
続けて現状を説明するヴァルシュだったが、途中で言葉を切ったシャーロットに何かを感じたらしい。
突然、彼女の両肩をがっしりと掴むと前のめりになりながら、ジッとその目を見つめてくる。 その蒼い瞳の奥の奥まで覗き込むかのように。ヴァルシュは照れるようにプイッと視線を逸らすと、表情とは裏腹に大声で叫ぶ。
肝心なところでヘタレる男がここには存在した。 「安心しろ! 何があってもシャルは俺が護る! 昔誓ったようにな!」「……うええええ!? あ、あたし!?」
昔のことを思い出して少し呆けていたシャーロットだったが、突然のヴァルシュの宣言と、大声で衆目が集まったことで大きく取り乱してしまった。 恥ずかしくて死にたい。と言うか消えたい。 「(ななな、何を言い出すんだ! この男はー!!)」 雑談とは違う騒々しさに会場が包まれる。 シャーロットの思考回路がショート寸前に陥ろうとした刻――妖精王リンレイスの大きな声が響き渡った。
会場の中央にある壇上から風の魔法で声を増幅して何か話しているようだが、今のシャーロットはそれどころではない。そこへ、彼女の脇腹をくすぐる者が現れる。
「ほーーーれ! こちょこちょこちょーーー!!」「ちょっ! 何っ? 何なの……ってエリーゼじゃん! 止めろやオラー!」
空色のパーティードレスを華麗に着こなす銀髪美女の幼馴染。 周囲から呆れた視線が集中する中、シャーロットとエリーゼが本気になって暴れ始める。 傍から見ればただじゃれついているだけにしか見えないのだが……。やがて一旦距離を取って落ち着いたエリーゼは悪びれる様子もなく犯行動機を自白した。
「いやさぁ。なんかラブコメの波動を感じたのよね。誰かさんが大声で何か言ってたみたいだしぃ?」「いやいやいや! 突然、あんなこと言われたらビビるわー!」
「あらら~。可愛らしいお顔を真っ赤にしちゃってぇ。本当に
「あーん? エリーゼ! 決めた! あんたはあたしがシバく!」
超上から目線で煽るエリーゼ 今度は2人の不毛な言い合いが始まろうとした時、まるで他人事のように争いを見ていたヴァルシュが、ツンツンとシャーロットの肩を突く。 「おい、シャル。面白くもねぇ掛け合いは止めろよ。なんか知らんが、リンレイス様が呼んでらっしゃるみたいだぞ?」 「別に掛け合いやってる訳じゃないわ!」と即座に否定したかったが、視線を壇上に向けると、そこにはニコニコ笑顔のリンレイスの姿。 その瞬間、シャーロットに戦慄が走り、こめかみが引きつるのが分かる。 リンレイスの背後に地獄の業火が燃え上がっているのを幻視したからだ。 彼女の姪でもあるからこそ分かることがある!少しばかり表情を青ざめさせてシャーロットは、リンレイスの元へと一も二もなく駆けつけた。
怖くて顔が見れない。 一体何を言われるのかと、シャーロットの鼓動が早鐘を打ち始める。そこへリンレイスによって大きな爆弾が投下された。
「皆さん、こちらがわたくしの姪、シャーロット。そして次期妖精王の候補であるバムロール・ロリヘイム公爵と結婚する者です」
夜会の翌日、飲み過ぎによる頭痛と吐き気を抑えながらも、シャーロットは普段通りに丸い結界の薄い殻を破って起き出した。 妖精族は本来、大気の霊気で繭のような結界を作り、その中で丸まって眠る。 この家にベッドなどと言う物はない。 人間との交流により寝具が持ち込まれたが、使用している者は人間被れやただの人間好き、そして肉欲に溺れた者くらいであった。「あったま痛---い……。もう……やっぱりお酒は飲みすぎるもんじゃないわー」 頭を押さえながら、シャーロットは朝食用のパンを焼いてコーヒーを入れる。 当然のことだが、このロル麦で作られたパンもコーヒー豆も人間の手により持ち込まれた物で、その他にも多くの物資を人間族から輸入している。 そしてパンを焼くトースターと言う魔導具や、コーヒー豆を挽くコーヒーミルも同様……言い出したらキリがない。 過去の蜜月時代からの名残であり、現在も一部の人間国家とは交流が続いているのだ。 だがシャーロットはパンは自然霊術の火で焼いているし、なるべく昔ながらの妖精族の暮らしを営んでいた。 もちろん例外はあるけれども。 現在、シャーロットが暮らしているのは、自然霊術によって巨大化した大樹をくり抜いて造りだされた一般的な妖精族の家。 妖精王リンレイスの姪なので、シャーロットも一応王族に名を連ねる者の1人である。 とは言え、魔族の王は世襲制ではなく実力主義で決まることの方が多い。 それ故、万が一、妖精王が譲位されれば、シャーロットはただの伯爵家令嬢に戻るのだが、そんなことを気にする彼女ではない。 何故、貴族であるのにもかかわらず1人暮らしをしているかと言うと、婚約破棄で負った心の傷を癒せるようにと配慮した両親の計らいがあったから。 破談の件を聞いた時、シャーロットの心に浮かんだのは悲嘆ではなく、諦念であった。 事実は事実として運命を受け入れる外ないと、ただそう思っただけだ。 淹れ立てのコーヒーの香りを楽しみながら、ゆっくりとカップに口をつけると、コクのある風味と苦みを味わう。 普段なら朝食を終わらせて、神話や歴史、魔法の書物を読んで、自分なりの解釈を加える研究を行うのだが、今浮かんでくるのは昨日の出来事。 いきなりあのような話になったのは何故なのか―― シャ
「ほら、シャーロット! お茶なんてのんでないで、こっちでボールなげでもしよう!」 優しく高い声。 何だか、凄くほっこりさせられる、心が落ち着く声色。 ふわふわな金髪に碧眼と幼いながらに凛とした顔立ちの男子。 柔らかくも鋭い目には慈愛の潤いを湛え、目尻が下がっているのも好意の現れ。 「ぼーるなげ? はじめてだけどやってみたーい! あたしにもできるかなぁ……」「かんたんだよ! ぼくの真似をしてみてよ!」 そこから始まったキャッチボール。 「なんだか、ぼくたちが仲良くしたら、みんなも仲良しになれるんだって!」「えっ! そうなの? じゃあ、あたし仲良くなりたい!」「それだけじゃないよ! ぼくはシャーロットが好きになったよ! だからきみにもぼくを好きになってほしいな!」 突然の言葉にシャーロットの投げたボールは、すっぽ抜けて大暴投。 慌ててガイナスが取りに走る。 綺麗に手入れされた芝生のカーペットが敷かれて、見晴らしのよい離宮の広場。 特に探すこともなく、ガイナスはすぐに戻ってきたかと思うと、怒った様子もなく自然な笑顔のままボールを投げ返す。 それは優しくふんわりとした弧を描き、シャーロットの手に収まった。 「ははは! シャーロットはまだまだへただね!」「むぅ……ガイナスがきゅうに変なこといったからだもん!」「ほんとうだよ! ぼくはシャーロット……シャルが好きだよ! ずっとまもるって決めた!」「えへへへ……まもってくれるんだ。あたしも好きだよ! ガイナスのこと! それでみんなも仲良くなれるならもっといいよね!」 懐かしき記憶が、刻を経た今なお鮮明に蘇る。 そう。この人は……。 人間族の国家――エルメティア帝國の第1皇子ガイナス・エル・ティア・クラウレッツ。 彼は……ガイナスは私の許婚。 これは遠き日の懐かしき想い出。 ※ ※ ※ 戦争が激化の一途をたどる中、妖精族の国家リーン・フィアは未だ平穏な日々が保たれていた。 それもこれも昼なお暗い、深き大森林に護られた首都フィアヘイムだからこそ。 そして現在、神星樹の王城《ヴァンドスラシル》の大広間では妖精王による夜会が催されていた。 「人間・亜人族連合軍との戦争中なのに呑気なもんだよねー。まぁあたし







